「うっ……っく……っ!」
身体全体を襲う激しい痛み。
誰が名づけたかは知らないが、今日が聖夜……
クリスマスだってことは知っている。
こんな世間が浮かれるような日には早く眠ってしまいたいのだが、病魔ってやつはそんな事お構いなしだ。
「はぁ…はぁ…はぁ…」
痛みの波が引いたところでやっと呼吸を落ち着けられる。
確か鎮痛剤の投与から4時間しか経っていない。最低でも6時間の間隔を置かなければいけない薬だが、私の身体への効果は日に日に薄くなっているようだ。
「世界なんて……滅んでしまえ……」
ふと口を付いて出た言葉に意外なほどに現実味が無くて、途方に暮れつつ窓の外を見た。
冬の空は驚くほどに澄み切って儚くも確かな輝きがそこには存在していた。
「………………」
小さな病室に静寂が戻った。
「……サンタさん……かぁ……」
今はこんな私でも、昔は無邪気に
サンタクロースの存在を信じていた。
「コツッ」
静寂に満たされた病室に突然何かの物音が響いた。
「…………?」
身体を無理に刺激しないように注意して辺りを見回すが小さな病室の中には別段変化は無い。
「……コツッ」
またしても物音。
今度は確かに聞こえた、窓に何かが当たる音だ。
「……コツッ……コツッ」
小さな小石か何かを窓に当てているようだ。
私はのそりと身体を動かして窓を開けてみることにした。
「……?……あいたっ!」
まさか相手も窓が開くと思っていなかったらしく、私が窓を開けたときにちょうど頭の辺りに小石のようなものが当たった。
「!……ご、ごめん! 大丈夫?」
声の主は私の病室のすぐ下のほうに立っていた。
ニット帽を目深にかぶってはいたが、声の調子から少年だということは推測出来た。
「う、うん……」
正直いつもの痛みに比べればたいしたことは無かった。
「あのさ……今日が何の日か知ってる?」
突然現れた少年はいきなり何の前ふりも無くそう訊ねてきた。
「何の日って……クリスマスでしょ?」
いきなりの質問ではあるが、私の口調は知らず知らずのうちに尖ったものになっていた。
「君さ、サンタクロースって信じてる?」
私の答えを聞いているのか聞いていないのか、今度はそんな事を訊ねてきた。
「…………あのさ、突然何なの? 信じてないよ、信じられないよ……」
少しずつイライラし始めた私は、苛立ちを隠さずにそう答えた。
「そっか……。僕はサンタじゃないけれど、君の願いをひとつだけ叶えることが出来るんだ」
今度は願いを叶えると言い始めた。
「はぁ? …………じゃあさぁ、私の
病気を治してって言ったら治してくれるわけ?」
今の私の望みといえばこの病気の完治である。だけどこの病気は……。
「……良いよ」
小さいけれど確かな声で少年は言った。
「…………嘘、無理だよ。この病気はもう治らないんだよ……」
そう、私の身体は悪性の腫瘍が蝕んでいて、現在の
医学技術では手に負えないものらしい。
「大丈夫だよ。僕が治してあげる、それが君の望みだから」
先ほどよりもはっきりとした声で目の前の少年は告げた。
「だから無理だって……」
「……大丈夫」
イライラした気持ちを抑えきれずに私が声を荒げかけたところに、遮るようにして少年はもう一度そう言った。
「…………だったら、あんたが
手術でもしてくれるってわけ?」
私の病気を治すというなら、少なくとも手術のひとつもしなければまず無理だろう。
「僕は手術なんて出来ない」
少年はしかし、きっぱりと呟いた。
「じゃあ一体どうするっていうの?」
僅かに浮かんだ希望を根底から否定されたような気持ちになって、半ば呆れたようにして聞き返した。
「空を見て」
私と同じか少し小さく見える手で空の方向を指差して示してくれる。
「…………空?」
言われるがままに見上げると満天の星空。しかしこれといって普段と違うところは見られない。
「今、君の目には何が見えてる?」
空を見上げているせいで少年の表情は窺えないが、その声はやけに明るいものだった。
「何って……星空だよ」
当たり前といえば当たり前なことを答える。
「もう少ししたら流れ星が見えるんだ。君はその流れ星が見えている間、さっき僕に言ってくれた願い事をただ強く願うだけで良い」
さも当然のことを言うようにして、少年は
夢物語のような事を告げた。
「はぁ……?」
いきなりの告白に間抜けな声を上げて少年の顔を見たが、そのニット帽に翳る表情は真剣そのものだった。
「あと3分後、見逃さないで」
確かな意志を秘めたその声に半ばあっけに取られながらも、私は視線を星空に向けた。
「………………」
そのまま私とその少年の間には聖夜の沈黙が訪れた。
どれくらいの時間そのままでいただろう。
無限とも思える静寂の先に今までに見た何よりも綺麗な流れ星が視界に入った。
病気が治りますように……。
病気が治りますように……。
病気が治りますように……。
「………………あ」
私の願いを聞いてくれたのか、聞いてくれてはいないのか、流れ星は静寂の闇に消えていった。
「これで良いの?…………あれ?」
少年に話しかけようとして、しかしさっきまで少年がいた場所にその姿は無かった。
「あら……?」
程なくして
夜間見回りの看護士さんに窓を開けているところを見つかり、そのまま就寝することにした。
次の朝。
「………………ん?」
主治医の先生が朝の定期健診の際に怪訝な声を上げ、そのまま精密検査となった。
「これまで悪性の腫瘍があった箇所の腫瘍が綺麗さっぱり無くなっているようだ……」
私もまさかとは思っていたが、真剣なまなざしで告げられたことに一切の誇張や偽りのようなものは見られなかった。
そこからは何もかもが目まぐるしく、健康体になった私の身体に日常生活に必要な体力が戻るようにとリハビリの日々が待っていた。
そんなある日、リハビリを終えて付き添いの看護士さんと病室に戻っている途中のこと。
「……あれ?」
私は無人になっている1つの病室を発見した。
「どうしたの?」
私の様子を伺うようにして看護士さんが訊ねてきた。
「この病室誰も居ないの?」
1人部屋の病室が空いていることはそうめったに無い事だと思っていたので、何の気なしに聞いてみた。
「あぁ、その病室はね……」
看護士さんは急に物憂げな声になり、
「君よりちょっと小柄な男の子が居たんだけど……」
その時不意に私の脳裏にあの少年の姿が浮かんだ。
「クリスマスの夜、急に意識が無くなってそのまま……」
もう痛まないと思っていた心が一瞬ぐらりと歪んだ気がした。
「……あら、せっかく完治した人に言うお話じゃなかったわね」
取り繕うようにして看護士さんがそう言った。
「…………ううん、別に気にしてないよ。もう行こう?」
そのまま私は看護士さんを先に促した。
そして一度だけその病室を振り返って呟いた。
「……ありがとう、小さなサンタさん」